ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
1840/5/7~1893/11/6
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(ピョートルは、英語風にいえば「ピーター」)。
生まれ: ロシア ヴォトキンスク
死没:, ロシア サンクトペテルブルク
- チャイコフスキー家はもともと貧しいコサックの出
- 子供の頃から天才肌
6歳ですでにドイツ語・フランス語を理解。幼少のころから音楽的才能を発揮していたが、父親の希望で1850年、10歳でサンクトペテルブルグの法律学校に入学。
- 同性愛者だった?!波乱続きの恋愛
チャイコフスキーは同性愛者で、彼の恋人である青年は、19歳という若さで他界。その後アントニナ・イワノヴナ嬢と結婚したが失敗し、自殺を図るほどに追い詰められる。このときバレエ「白鳥の湖」が完成し、その後はヨーロッパ各地を転々としていた。
- ピアニスト・作曲家、アントン・グリゴーリエヴィチ・ルビンシテインとの出会い
ルビンシテインと出会ったことは音楽家、チャイコフスキーを語る上で逃せません。
チャイコフスキーは法務省に勤めていましたが、アントン・ルービンシュタインが設立したサンクトペテルブルグ音楽学校に入学すると、音楽に専念するため法務省を辞職します。音楽講師となり同時に作曲も手掛けました。その才能が認められてのちに大公妃エレーナのお抱え音楽家となる。その立場を利用し、ロシア音楽協会を設立。音楽を指導しながら作曲の能力を発揮していきます。
3大バレエ『くるみ割り人形』が作曲されたのは彼が51歳の時、亡くなる2年前です。
3大バレエの順番で言うと、『白鳥の湖』→『眠れる森の美女』→『くるみ割り人形』という順に作曲されました。
チャイコフスキーの性格と音楽の特徴
とにかく臆病で、ストレスに弱く、繊細だった為、音楽も豪華な部分を持ちながら、繊細なメロディーもあり、そこがなんとも言えなく感銘を受けるのです。
チャイコフスキー初期の作品は、国民楽派(ムソルグスキーなど)の影響を受けていましたが、モーツァルトやベートヴェンを尊敬していたこともあり、後半は西欧風に変化していきます。
チャイコフスキーの作品は、常に私生活の影響を受けたものと言われています。豪華絢爛な曲であるとともに、叙情的で寂しげな旋律のところも有るのも特徴の一つです。